Story07 長孫の河童伝説

 古滝屋から湯本駅方向に進んで、金比羅神社を過ぎ、マルトを左手に見ていくと、二股の道に分かれる。
 右を選ぶと馬の温泉(競走馬総合研究所常磐支所)だが、本日は左へ。カワチを過ぎ、信号を渡ると、右手に能満寺。なだらかな坂道を降りると、長孫という、少し変わった地名にたどり着く。
 ご存じでしたか? そこには河童が住んでおりました。
 河童の歴史は古く、古事記の時代には既に日本に定住していた、とされている。中国の三大奇書の一つ、「西遊記」では、堂々の準主役で物語の全編を彩っているくらい、昔から人々に愛され続けている生き物(?)と言える。
 昨年、スポーツ新聞で、河童の“スクープ写真”が一面を飾ったが、その岩手県遠野で撮られた河童は、全身が緑色であった。
 しかし、柳田国男氏著作の「遠野物語」によると、遠野の河童は赤顔らしい。全国的に伝えられる共通点は、馬にいたずらすることと、人の尻子玉(睾丸)を抜いてしまうこと。
 しかし、いわきの河童はやはり人柄が良い。伝説によると、馬にいたずらしていてケガをしていたところを人に捕らえられ、「助けてくれたらもう尻子玉を取ったりしねぇ」と、証文まで書いて約束をした。
 さらに、「夏、川に白い藤の花が咲いたら、決して川に近づかないでくれ」と、川の氾濫から村人を救ったと伝えられている。

 「長孫の伝説」を元に、地元の有志によって岩崎川のほとりに建てられた「カッパの碑」。白い藤も植えられ、毎年春には満開の花が咲き誇る

 現在の岩崎川。氾濫したのは過去の話だが、農業用水などに利用され、人々の生活に密着しているのは今も昔も変わらない

  


 河童の起源も諸説ある。基本となるのは、「人が自ら起こす原罪への後悔」と「自然への畏怖」だと思う。人の子がすくすくと成長するなどという思い込みは、ここ何十年かのものだ。
 かつて人の子は弱いものだった。病や飢え、口減らしなどの理由で早死にさせてしまった子が、「父恋しい、母恋しい」と、賽の河原で石積む姿を、川で遊ぶ河童になぞらえて、親が自らの想いを慰めたのかもしれない。
 川は人々の生活と密着している半面、事故にも苦しめられた。「川に入るべからず」の道徳が、「河童がいるから気をつけろ」に変わっていったと考えても不思議ではない。
 河童は、「蛟族」と呼ばれる大妖怪であるが、恐ろしい妖怪話の裏には、法律や開拓が未整備だった時代の、「人が人を思いやる真心」が込められていると思う。
     (元禄彩雅宿古滝屋 斉藤英明)