Story09 湯本のこんぴらさん

 「こんぴらさん」と親しまれ、歌にも歌われている金比羅様。ここ湯本にも金刀比羅(金比羅)宮=常磐関船町諏訪下8=があり人々に親しまれている。
 まずは本家、讃岐の金比羅様の歴史をひもといてみよう。創始年月は不明だが、延宝五年(1677)に書かれた「五藻集」には、「この山の鎮座、既に三千年に近づく」とあり、紀元前千三百年代、大物主神を祀ることで、琴平神社としてスタートしたと伝えられている。
 しかし、よく出来たもので、記紀神話によると、大物主神は、日本の国造りの神であった少彦名神が立ち去ったあと、海の彼方から波間を照らして現れた神なのだ。
 俗っぽい私には、どう見ても縄文人が弥生人に侵略制圧された物語が見えてしまうが、とにかく海からやって来た大物主神は守護神として人々に受け入れられてきたのである。
 その後、インド仏教の影響を受け、大物主神はサンスクリット語でワニを意味するクンピーラ(こんぴら)と名を変える。
 怖いワニも、ここでは薬師十二神将の一人、宮比羅大将だ。インド王舎城の守護神であり、航海と水、火難避けの神とされ、永万元年(1165)「金比羅様=船の神様」の図式は、この時成立した。
 以来、人々から五穀豊穣、商売繁盛、海難火除けの無献の神様として、全国に分霊し、愛されている。
 いわき湯本に金比羅様が来たのは、永正2年(1505)。もともとは私的な信仰による分霊だったが、落雷で社殿が全焼し、ずっと放置されていた。

 社殿の前で、天高く枝を伸ばす楷の木。杉のように見えるが、中国原産のウルシ科植物。「雷神木」とも呼ばれ、落雷避けとして信仰されてきた木だ

 長い年月を経て、建立当時を伝えるものは敷地内にそびえる巨木のみ。周辺のカシ林(左)は市の保存樹林に指定されている

  


 ところが、250年後の江戸時代、年貢米輸送船の遭難、難破が激増。ほったらかしにした「金比羅様のたたり」と怖れ、讃岐の本家に三十三度詣でて、やっと平穏な航海が約束されたとのお話。この時再建されたのが、現在の社殿である。
 今では、毎年1月10日の例大祭の日には、市内はもとより、東日本の主要な港町から、十数万人もの参拝者が集まるほどの神社も、その始まりは小さな願いの心だと思うと、親近感が湧いてくる。
 きっと火除けの神様ということで、水不足で火災に立ち向かえなかった湯本の町を憂いたのだろう。
 前回も書いたが、湯本には石塔、石仏、神社仏閣がとても多い。温泉郷である半面、飲む水にさえ苦しんだ町。湯本は時代や自然に翻弄されながら、神仏の力を借りて一生懸命生きてきた町である。
     (元禄彩雅宿古滝屋 斉藤英明)