
JR湯本駅前のポケットパークと呼ばれる一角に、温泉が流れる五層の塔がある。 「愛湯物語」と名付けられたそのモニュメントには、いわき湯本温泉が発見されてからの盛衰の歴史が、五層の内に意味付けられている。 一番下は、温泉が地表に湧き出していた時代。次が、石炭採掘で源泉が低下していた時代。以後、温泉が地表から消え、街がその輝きを失った時代。そして、温泉と共に街が復興した時代。一番上は、新源泉が確保され、今後の繁栄が約束された現在である。 江戸時代より、各地の文人墨客が訪れ、江戸末期の「全国温泉地番付」に名が載るほどの温泉地であったはずが、石炭が発見されて以来、石炭のニーズの上昇に反比例して、温泉は失われていった。 小説家、田山花袋が二度目の来訪を果たしたのは大正七(一九一九)年。温泉の枯渇期にあたる。 初回の宿泊の際は、文字通りの温泉街、花街であった。千人風呂から湯の香りが立ち上り、三味線、太鼓で芸者さんたちが踊り、湯女さんと呼ばれる、背中を流してくれる女性もいた色街だった。 二度目は子供を二人連れての宿泊。 「あれから幾年、石炭採掘でますます人も、産業も増えている。さぞかし女性も入り込んでいるだろう。子連れで泊まるのはどうしたものか」 晩年、浅草のストリップ劇場通いで名を馳せた田山花袋。うれしいような、困ったような、期待と不安があっただろう。 |
![]() JR湯本駅前広場に建てられた、「五つの時代」を表したモニュメント。立ち上る湯気に道行く人が足を止め、ぬくもりを求めて手を伸ばす |
![]() 波乱に満ちた歴史を持つ湯本温泉郷。豊富な源泉が確保された今、“憩いの地”として歩み続ける ![]() |
しかし、それらは全て徒労であった。花袋は、その衰えて裏切られた姿を、「詩を思わせる」と、慕情的に結んでいる。
古滝屋の先々代の女将が嫁いできたのはそのころのこと。石炭採掘で温泉が出なくなった温泉旅館を守るため、毎朝三時に起きては、山から水を汲み、皮肉にも石炭で湯を沸かしていたというエピソードが残っている。 彼女自身、温泉旅館に女将として嫁ぎながらも、温泉に入浴したことは殆どないだろう。先代女将の、「もう一度、母を温泉に入れたかった」という口癖は、私達の心を締め付ける。 過去、石炭が要求されてきた理由の一つは西南戦争をはじめとする幾度かの戦争だ。 現在、湯本温泉は、全国でも数少ない、枯れる心配のない温泉地になった。 もう二度と温泉が不必要で、石炭が必要などという時代にしてはいけない。そのためにも、私達、温泉旅館で生きる人間たちには、この街の歴史を伝承し、文化を継承していく使命がある。 (元禄彩雅宿古滝屋 斉藤英明) |