最新号 December 2018

いわき再発見シリーズ12 -群像-いわきの誉れ

2018.12月号 
初代平市長 鈴木 辰三郎

 いわきの中心、平。終戦間際、米軍の空爆によって未曽有の被害を出した混乱の時代、地域の復興に尽力したのが、平市の初代市長、鈴木辰三郎だ。主要道路の新設、整備、競輪の誘致など数々の功績を残し、いわきの基盤を作り上げたその「独創・剛腕ぶり」は、今に伝わる。
 「復興の父」とも呼ばれ、明治10(1877)年10月1日、石城郡高久村(現・高久)に生まれる。実家は箱崎姓だったが、後に隣村である夏井地区の鈴木家に養子として入った。
 幼いころから利発だった鈴木は村会議員、石城郡議員、福島県議会議員を経て、衆議院議員に当選。活躍の場を中央政界とした鈴木は地元、小名浜、江名、四倉の各漁港の修築事業に貢献、その傍ら、愛谷江筋の県営工事、福祉関連事業にも力を発揮。
 郷土の発展にまい進し、終戦間際の昭和20(1945)年2月、7月に相次いで空爆を受けた平市街地の復興に乗り出す。
 22年4月、公選によって初代の平市長となり、被災地の整備はもちろん、新制中学校の建築、鎌田山浄水場の建設、平地区の城山跨線(こせん)橋の架設などに汗を流した。
 こうした中、最大の功績の一つと言われているのが、JRいわき駅前から国道6号に延びる幅員30mの「平駅前大通り」の新設。
 幅員の変更、さらには反対運動の地主、住民らとの対立も深まり、行政訴訟も起こるほどの大問題となったが、説得を続け、数年後に日の目を見る。今では夏まつりのメーン、「いわきおどり」の会場 として利用されている。
 さらに、「市財政の供給源にし、安定化を図りたい」として競輪事業に白羽の矢を立てる。23年に、「都市の復興」を目的として自転車競技法が公布・施行されると、積極的に誘致活動を展開。
 当然、「賭博事業だ」として反対の声も高まったものの、「戦災復興には莫大(ばくだい)な費用がかかる」として押し切り、26年12月に平競輪場が開場、現在も市の財政を支えている。
 当時、いわき地域は1市9町22村があり、数々の難事業に尽くす一方、隣接市町村の合併についても模索。新たな分野の開拓を目指し始めていた矢先の27年1月6日、公務での上京後、車中で死去。74(75歳の説もある)歳で波乱の生涯を終えた。(敬称略)

次号予告

1月号は2018年12月下旬発行
★連載:いわき再発見シリーズ13「歩み続けて老舗」/私の博物誌★エッセー:続 琥珀色の風景/健探闊歩(けんたんかっぽ)/うまい話し ほか





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